(図はエコツァーパンフレットから)
猿島とは横須賀市の沖合、東京湾に浮かぶ明治14年から昭和20年までの64年間、民間人の立ち入りが許されなかった旧日本軍の要塞島です。
首都防衛の要衝の島で煉瓦造りの兵舎や弾薬庫、大きなトンネルなどが見事に残っています。
そして東京の近くにありながら自然がいっぱいの常緑の島です。(ただし猿はいません!)
2015年に国防軍事施設として初めて国の史跡に指定。
2016年に日本遺産に認定されました。
【場所】横須賀沖 1.7km(船で約10分)
【面積】約56,600㎡(横浜スタジアムのグランドの約4倍)
【東西】約200m
【南北】約450m
【周囲】約1,6km
【標高】約40m
ちょっと詳しく
国の史跡
所在は横須賀市猿島1番地。
大きさは450m×200m、周囲1・6㎞。面積は55000㎡。
幕末、明治、昭和の近代史が濃厚に詰まっています。
1884年、明治17年に軍が猿島に砲台建設をするため所有していた公郷村から600円で買上。
1995年、市が国から委託管理。
2007年、横須賀市に譲渡され、整備が始まった。
2015年、国防軍事施設として初めて国の史跡に指定。
2016年、呉、佐世保、舞鶴と共に日本遺産(鎮守府)として認定。
江戸防衛
幕末、黒船出没に備え幕府は東京湾入り口を「打ち沈めライン」として猿島などに砲台を築きました。
明治になり日本で最初の要塞である東京湾要塞の建設は1880年(明治13年)5月の観音崎砲台建設から始まり、猿島砲台は14年に着工17年に竣工しました。
海堡建設や房総側と砲台建設が続き、明治20年代に東京湾口と軍港防衛の2段構えが完成しました。(原剛元防大教授)
猿島の任務
東京湾要塞の中で猿島の任務は、猿島前面の海域防御と横須賀軍港防御砲台の援護とされた。島には第1、第2砲台があり加農砲が25年から26年にかけて配備されました。(明治国土防衛史 原剛防大教授)。
第1砲台の27㎝加農砲2門は明治21年・25年のフランス製。第2砲台の24㎝加農砲は明治23年大阪砲兵工廠製。
戦闘
日清戦争では猿島も配備についたが、まだ砲弾を満足に準備することができなかった。日露戦争頃になって十分な砲弾(27cm加農砲に140発、24cm砲に440発)を備蓄することができました。
猿島砲台は大正12年の関東大震災で壊滅的な被害を受けて大正14年に除籍され、昭和2年に海軍に移管。海軍は横須賀軍港の対空防衛のため8㎝高角砲4門を設置。昭和19年12月と20年3月に12.7㎝(5インチ)大型高角砲2門と置き換えました。40mm連装、25㎜単装機関銃も装備されていました。
昭和20年7月、米艦載機による横須賀空襲に応戦しました。
猿島の兵員
▽明治27年の日清戦争時:233名(軍医、衛生兵、担架兵含む)
▽明治37年の日露戦争時:230名(第5中隊が戦闘配備)
毛塚五郎「東京湾要塞歴史」
▽昭和20年の終戦時 :142名(終戦時の目録)