走水低砲台跡とガイド料

 

 ◆古事記にも登場

 猿島から7㎞程離れたところに位置します。

 130年以上市民の立ち入りが禁止されていたため、明治の砲台跡がとてもきれいに残っています。

 専門ガイドが弾薬庫や兵舎などの内部まで入ってご案内します。

 ◆幕末から砲台

 走水低砲台は東京湾要塞の一翼を担った砲台で、猿島と共に2016年に日本遺産に指定されています。ここは旗山崎、または御所ヶ崎と呼ばれ古事記や日本書紀にも登場する、日本武尊ゆかりの岬です。

 

 走水には江戸時代の初めから御船番が置かれ、江戸に下る船の積み荷あらためなどをしていました。江戸後期の1843年、出没する異国船対策に迫られ、川越松平藩が幕府の命で台場(砲台)を築き6門ないし7門の大砲を据えました。 

 

 ◆明治期に巨大な砲4門

 明治18年(1885年)になると、軍は走水に近代化した砲台の建設に着工(翌年竣工)、4門のフランス製カネー式27センチ加農砲を扇状に配置しました。それぞれ凝灰岩(房州石)で囲まれた砲座跡が、ボルトの跡まできれいに残っています。

 また、構造物としては弾薬庫、兵舎、小隊長掩壕などが残っております。そのなかでユニークなのは小隊長掩壕。そこから砲手に命令を出したと思われる小さな施設です。(掩壕=攻撃から身を守る施設)

 

 明治末期以降になると砲の進化や航空機の発達、加えて関東大震災での被害などから現役としての役割を終え、昭和9年からは演習砲台として第二次大戦の終戦を迎えました。1945年の終戦以降も施錠されて立ち入り禁止となっていましたが、2016年の日本遺産指定を機に公園として開放されました。

 

 ◆近くにパワースポット

 つまり、明治以降130年以上、土地の人もその実態をよく知らない神秘的な軍事施設だったのです。今でも普段は施錠されていますが、予約制で専門ガイドと一緒に入ることができます。

 また、近くには、大和武尊と弟橘媛がまつられ、パワースポットとして知られる走水神社もあります。

 

  ■ガイド料金 

◎走水低砲台跡=お1人様400円(6名以上の場合)

  ◆5名以下の場合は全員で2,200円

 

◎猿島+走水低砲台跡=お1人様1,000円(6名以上の場合)    

 

  ◆5名以下の場合は全員で5,700円

猿島航路の運航状況

渡船料と時刻表など