◆開削工法の痕
重機も電気もなく
車掌という言葉も早晩死語になるのでしょう。何しろ、超過密の山手線までがワンマン化を目指しているそうですから。
そこまでやりますかという気もしますが、それ程にマンパワーがひっ迫しているという事なのでしょう。
明治14年から工事が始まった猿島砲台の工事はその逆で、お金もブルドーザーも電気もない、「何もないけど人力だけは」という状態の人海戦術の時代でした。
4年間で基本部分が完成した猿島砲台、大変な土木工事だったことでしょう。何しろ、地下壕などはちょっと想像を超えるほど人手のかかる工法でした。
いったん開削
その工法の痕跡が、三叉路にある元弾薬庫の壁に残っています。
まず山を開削してレンガで壁と天井を作り、天井の外側に防水のアスファルトを塗ってから埋め戻しているのです。写真右上方の円弧の細い筋がアスファルトの層です。
オープンカットと呼ばれる工法(開削工法)で、猿島の地下構造物は大部分がこの工法で建設されました。
この工法は、浅い地下鉄工事などでも採用されています。一方、深い所はシールド工法が主流です。
今や、土木建築はもちろん、近代の技術はコンピュータの出現もあって超加速度的に進化しています。
浦島太郎は浦島太郎になるために700年を要したと伝わりますが、現代では数年ぼんやりしているだけで十分浦島太郎になれます。(木)