◆弾薬庫の落書
これも歴史
弾薬庫に入って誰もがまず驚くのはこの落書です。
数年前、当協会の会員が落書きの内容を調べたところでは、LOVEとか自分の名前や日付とかが多く、最近のSNSなどのような他人を誹謗したり中傷したりしたものが無いのが救いでした。
落書きのない真っ白な漆喰の弾薬庫を見たい気もしますが、落書あるいは落書がなされた行為自体もその時代を語る歴史そのものだそうです。
猿島は江戸期から終戦(1945年)まで一般人は立ち入りできませんでした。こうした落書きは一体いつ頃書かれたのでしょう。
カネになる島
資料によりますと、終戦のどさくさが続く1948年(昭和23年)ころから工作を始めた湘南振興株式会社という会社が、1950年に市に対して三笠園・猿島海上公園への出資と遊覧船の整備の請願書を出しています。
同社は猿島にバンガローやキャンプ場などを設置してカラー刷りのパンフで宣伝、史跡とはおよそ無縁の移動動物園まで設けて集客、おおいにもうけたという記録があります。1957年(昭和32年)になると別な企業が海水浴場を開いています。
落書されたのは、その頃から昭和40年代にかけてではないかと推測されます。
ある種の人には「猿島はカネになる島」としか見えなかったのかもしれません。
この落書は、島とのかかわり方を間違えるな、という歴史のいましめ、ともいえるでしょう。(木)
2022年9月