◆明治のトイレ
見慣れない構造
直線の切通しを進んで行くと左手に変な形の煉瓦の遺構があります。おそらく他所では目にすることはないでしょう。
これは「何だと思いますか」と、たずねても正解する人はめったにいません。しばらくくぼみを眺めた後、何人かが「風呂!」、「足湯!」などと答えます。
惜しい、“液体的なるもの”に関係している、というところまでは合っているのですが、その先が少し違います。
実は、ここは要塞が作られたときに設けられたトイレです。今や死語になった言葉で言えば厠(かわや)です。
便所とか厠とかいうと、陰影的で何やら臭ってくるような語感ですが、生の痕跡など時の流れには適いません、今やあっけらかんとしたものです。
サイドが小
まず目につくのは二つのくぼみですが、これが大です。このままでは付けないので床や扉くらいはあったのでしょう。
サイドのコンクリート部分が男子用の小便器と手洗いの区画のようです。どのように仕切られていたかなどはよくわかりません。
つい男子用と書きました。当然のことですが日本の軍隊には女性はいなかったと思い込んでいたのですが、実は「女性の兵隊さん」もいたのです。
本土防衛が急務となり、人員不足に悩んだ軍は司令部の通信隊員に軍属として女性を募集したのです。
制服制帽の他、靴までも支給され、給与は軍曹の2倍と優遇されたので、若い女性には大いに人気があり、応募はなかなかの高倍率だったそうです。
全国の拠点で任務に就いたようですが、全体像など実態はよくわかりません。もちろん猿島にはいませんでしたので、女性用のトイレはありませんでした。(木)
2021年12月